僕は煙草を吸う
倉本 聰(脚本家、演出家)
- 倉本 聰
- 1935年、東京都生まれ。東京大学文学部美学科卒業。ニッポン放送を経て脚本家として独立後、1977年富良野に移住。1984年から、役者やシナリオライターを養成する私塾「富良野塾」を主宰(2010年閉塾)。今後は、塾卒業生からなる「富良野GROUP」の公開活動に力を注ぐ。代表作に『北の国から』『前略おふくろ様』『明日、悲別で』『ライスカレー』『歸國』など多数。
昔、飛行機の中が初めて禁煙になった時、その法を破って機内で煙草を吸う方法があると、声をひそめて提唱したユニークな愛煙家の知人がいた。
「機内のトイレで水を流すとき、ゴボゴボッと強力に吸い込むじゃないですか。あの瞬間に排水孔に顔を近づけ、パッと煙草に火をつけてスッと一服しすぐ捨てるんです。気付かれません」
その知人も間もなく禁煙し、たちまちこうるさい嫌煙家に転じた。こいつとの付き合いを僕は断った。
よく行ったレストランがどんどん禁煙になり、僕は行くことをしなくなった。年中行っていた外国へもぴったり足を運ばなくなった。地球がどんどん狭くなる。何度講演を頼まれても禁煙条例を布いた神奈川県へは足をふみ入れないことにしているし、路上禁煙を叫ぶ千代田区へはタクシーでもなるべく入らないようにしている。だってそうだろう、煙草の煙がいけなくて車の排気ガスは許すというのはどう考えても理屈に合わない。
30年程前、北海道の某医大の禁煙論者で有名な大先生と、公開シンポジュウムでやり合ったことがある。体に悪いことは良く判ってます。現に朝など呼吸器が苦しくて参ることがよくある。医学がここまで進歩したなら、昔町を流していたラオ屋のように、気管の中のニコチンをスーッと洗滌するといった方法をどうして開発してくれんのですか。大先生は一瞬絶句し、顔を真赤にして大声で叫んだ。「それはあなたのわがままです」
ここまで世間が禁煙を叫ばなければ、禁煙差別が拡がらなければ、もしかしたら僕はとうの昔に煙草を吸うことを止めていたかもしれない。だって現実に苦しいと思うことがあるのだから。しかしここまで無体なまでに愛煙家を迫害し差別する世の中になると、止めてたまるか! という意地が湧く。従って僕は、吸いたい間は吸い続けようという意志を変えない。
齢のせいもあってさすがに体のあちこちのパーツが痛み出し、このところ前出某医大のお世話になっているが、カルテをのぞくと「重喫煙者」と記載されており、担当教授からニヤニヤと、まだ止める気になりませんか、と云われる。しかし先生、と僕は応じる。かつて僕の闘った禁煙主義の大先生、あの方僕より先にとっくに亡くなられたじゃないですか。すると教授は困ったように、「あの先生は糖尿病でしたから」とのたまった。
20年程前の話になるが、新幹線の喫煙車に乗っていたら突然1人のアメリカ人(だと思うが。あんな無礼なのはアメリカ人にちがいない)が乱入して、いきなり煙草を吸っていた客の口からその煙草をむしりとり、車内で煙草を吸うな! という罵声を凄まじい権幕でまくし立て、消えた。あまりの権幕に乗客一同唖然とし、しばらくしいんと沈黙が流れたが、誰かが、だってここ喫煙車輌だろ、と呟くと、そうだそうだと全員騒ぎ出し、あいつは何なんだ! 何様のつもりだ! ありゃアメリカ人だ! そうだそうだ! と反米意識が充満し、みんな一斉に煙草に火をつけた。その時1人の初老の紳士がボソリと低い声で呟いた。
「今日も元気だ、煙草がうまい!」
古き良き時代のなつかしい空気が、新幹線の中に流れた。
これまた何年か前、あるウイスキー会社が主催した健康シンポジュウムというものに、基調講演を頼まれて出たことがある。僕の前に3人の医師・科学者がスピーチし、異口同音にアルコールのことには全く触れず、煙草の害にばかり攻撃の的を絞って、煙草は百害あって一利なし! と連呼する。幸か不幸か僕は一番最後だったので、少し長くなりますがと断って演説した。
「さっきからきいていると、煙草は百害あって一利なしと、のべつ僕のことを攻撃されているような気がする。たしかに僕はヘビースモーカーです。だが僕の作家としての思考回路は、50年間煙草と直結して成立しており、左手の中指と人差指の間に煙草があって煙が立ちのぼり、時折それを口へ運んで吸いこむ、という連鎖行動がないと、創意が全く湧いて来ない。いわば煙草というものを媒介に、創作の神様が下りてくる。〝北の国から〟という21年続いたドラマは、43万本のマイルドラークによって書くことが出来た。それでも百害あって一利なしと云うか!大体みなさんは健康健康と経文のように御云るが、健康に永生きして何をなさりたいのか。只意味なく永生きしようというなら、使う目的がないのに只金儲けがしたい、金を貯めたいというホリエモンなどと同じことではあるまいか。僕は命は別に縮めても良い。生きている以上良いものが書きたい。故に神様に下りて戴く為に体に悪くても、心に良い為にこうして煙草を吸っているのです」
煙草には流煙の害がある。はた迷惑である、と学者は云う。そうかもしれない。その意味では愛煙家は罪人かもしれない。だから加害者と被害者を分ける分煙システムには大賛成である。だがしかし喫煙という有史以来永年培われてきたこの習慣を未だ良しとする愛煙家を悪ときめつけ、禁煙者を善とする昨今の風潮は、明らかな差別と思うべきである。
AとBを分けるなら均等平等な分離でなければならない。
レストランやロビーの、良い席は常に禁煙であり、喫煙者は悪い席に追いやられるという現状は、少なくともサービス業に於いてやってはならぬことである。しかしホテルや飲食店は常にこの罪を犯している。かつてのアメリカの「白人席」「黒人席」のあからさまな差別を、今この国のサービス業は犯し、行政がそれを後押ししているかに見える。見えないファシズムへのかすかな足音を、世の愛煙家は感じてはいまいか。
十年程前、僕は富良野の森の中に小さなバーを作った。哀れな愛煙家の為のバー、“for miserable smokers”と看板に謳っている。嫌煙家を決して拒むものではない。だから排煙にはうんと気を使った。それでも同席がいやならば入らなければ良い。僕は只愛煙家が、周囲をびくびく気にすることなく落着いて飲める場所が欲しかったのである。
最近友人が、『東京の喫煙できるレストラン』(日本工業新聞社)というガイド本を出した。全てが全面喫煙とは限らず、分煙のところも載っている。まことにありがたい本である。
更めて云うが、煙草の嫌いな人に好きになれなどと云う気は毛頭ない。
只、永年そういう習慣の中に生きた75才の老人として、我々も日本人社会の一員として相応の権利は認めて欲しいと云っているだけである。
最近の僕の最大のストレスは、煙草のことで一々気を使わなければならないことである。多分このストレスは僕の免疫力を弱め、僕の健康への最大の障害になっている気がする。
僕が死んだ時、あいつは煙草で命を縮めたとだけは云って欲しくない。逆である。煙草のおかげで僕は活力をもらい創作の神に下りてもらってきた。煙草に僕は恩義を感じている。たとえ命を縮めようとも、忘恩の徒とだけは呼ばれたくない。
(※愛煙家通信No.2より転載)
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