禁煙運動という危うい社会実験

養老孟司(東京大学医学部名誉教授)

養老孟司
ようろう・たけし 一九三七年生まれ。東京大学医学部卒業。医学博士。東京大学医学部教授、北里大学教授等を歴任。著書に『からだの見方』(筑摩書房、〈サントリー学芸賞〉)、『バカの壁』(新潮社)など多数。

過去に例のない大増税、罰則付き法規制が向かう先は「ファッショ社会」か
異論を許さぬ空気を醸成する「禁煙運動」という危うい社会実験……

養老孟司 東京大学名誉教授

国が押しつけることではない

 四年ほど前に劇作家の山崎正和氏と禁煙運動をテーマに対談し、他人に禁煙を強要する社会の異常性を指摘したところ、日本禁煙学会から質問状が届いた。編集部から止められたので返事はしなかったが、本当は「これからもお互いに末長く元気にやりましょう」とエールを送りたかった。禁煙運動は喫煙者がいなければ成り立たない運動だからだ。
 今さら言われなくても、たばこが健康に悪いことなど、昔から誰でも知っている。私が大学に入学した五十年ほど前の話だが、通学途中でばったり出会った同級生が「昨日たばこを吸って朝起きたら、口の中に嫌な味がまだ残っている。こんなもの健康にいいわけがない」と言い、「オレはやめるから、お前もやめろ」と言った。半世紀も前から「健康に悪い」「お前もやめろ」を飽くことなく続けている。
 世界で最初に禁煙運動を始めたのは、ナチスドイツのヒトラーである。ヒトラーは非喫煙者で、国民の健康増進運動の一環でたばこを禁止したが、それが優生思想に結びついた。精神病患者の安楽死に始まり、最後はユダヤ人の大虐殺に行き着いた。日本でも〇二年に健康増進法が施行され、健康増進に努めるのが国民の責務とされたが、国が国民生活に踏み込み、習慣を変えさせ
ようとするのは、戦時中の「欲しがりません、勝つまでは」と同じである。
 私は昆虫採集のためにラオスなどの発展途上国に行き、熱帯雨林に入ったりするが、熱帯性マラリアや住血吸虫病にかかる危険もあるし、現地に行くまでの飛行機もオンボロだ。実際に日本の昆虫学者の中にも飛行機事故で亡くなった方は何人かいる。そんな人間にしてみれば、「たばこが健康に悪い? それで?」である。自分で判断してやめるのはいいが、国が押しつけることではないのだ。
 副流煙の問題だというかもしれないが、世界で初めて副流煙の害を唱えたのは元国立がんセンター疫学部長の平山雄氏で、彼の疫学調査には多くの疑問が寄せられ、特に副流煙の害については問題外とされている。
 たばこは健康に悪いかもしれないが、肺がんの主因であるかどうかについては疑問がある。現実に、日本人の喫煙率は下がり続けているのにもかかわらず、肺がんの発症率は上昇する一方である。日本人の寿命が延びたことも理由だが、発がんのメカニズムは複雑で、原因となるものも食生活から大気汚染、ストレスまで無数にある。たまたま肺にがんができたのを肺がんと呼んでいるだけで、でなければ非喫煙者で肺が
んになる人が山のようにいることを説明できない。
 がんを発症するかどうかも個人差が大きく、麻雀に例えれば、配牌がいい人は簡単にあがれる(がんになる)が、配牌が悪いとどんなに悪さをしてもあがれない(がんにならない)。酒もたばこもさんざんやりながら八十歳でもピンピンしている人もいる。つまり、がんは根本的には遺伝的な病なのだ。
 あまりにも「たばこで肺がんになる」というキャンペーンをやりすぎたため、逆にたばこをやめれば肺がんにならないかのような幻想が広がっているのもどうかと思う。禁煙に限らず、「メタボだからダイエットする」とか「サプリメントで足りないものを補う」とか、それで健康になり、自分で寿命をコントロールできると信じている人が多い。しかし、それも個人差の中に埋没する程度の効果しかない。
 健康至上主義がはびこる一方で、日本では交通事故で毎年五千人が亡くなり、自殺で三万人が亡くなっている。いくら健康に気をつけていても、明日、クルマに轢かれて死んでしまうこともあるのだ。本当に国民の命が大事だというのなら、禁煙運動より先に自動車反対運動をしたらどうか。自動車だって排気ガスで大気汚染を引き起こしている。私には石油業界と自動車業界がたばこをスケープゴートにしているようにしか見えない。

たばこは脳に溜め込んだ無秩序を清算する

 なぜ人はたばこを吸うのかというと、脳の研究者として私はこう考えている。
 仕事や勉強をするという行為は脳の中で「秩序を生み出す」行為である。秩序を生み出すにはエネルギーが必要で、エネルギーを消費するとエントロピーが増大し、無秩序が生み出される。つまり、無秩序は常に秩序と同じ量だけ生み出されるのである。人間は一日の三分の一は眠らないと生きていけないが、眠っている間に溜まった無秩序を清算してスッキリさせていると考えられる。たばこを一服するというのは睡眠と同じで、無秩序を少しだけ清算しているのだ。だから、たばこをやめれば別の方法で無秩序を解放する必要があり、そうしなければ溜め込むばかりになる。
 単に中毒というのではなく、何かメリットがなければ、こんなに多くの人々が吸い続けたりはしない。たばこは健康に悪いかもしれないが、メリットもたくさんある。だから、やめれば問題解決かといえば必ずしもそうとは言えない。
 先に日本では自殺が多いと書いたが、逆に他の先進国に比べて他殺率が低いのも特徴で、もし自殺防止運動が効果をあげて自殺率が下がると攻撃性が他者に向かい、殺人が増えるかもしれない。

融通の利かない原理主義の世界

 この世の中に一対一で「こうすればこうなる」という単純な図式で描けるものなどほとんどなく、想像もしなかったことが必ず起きる。禁煙運動が奏功し、日本人がたばこを吸わなくなれば、もしかしたら無秩序を溜め込んで、心の病になる人も増えるかもしれない。
 経済の側面から見れば、神奈川県では昨年、禁煙条例が施行されたが、零細な飲食店では分煙施設を導入できずに閉店に追い込まれるなど、莫大な経済的損失が起きているとも聞く。
 こういう融通の利かない社会というのは、まさに一神教の世界、原理主義の世界の話である。それもそのはず、禁煙キャンペーンは欧米のサルマネである。私はこういった欧米発のキャンペーンの類いには強い疑いをもっている。
 アル・ゴアの『不都合な真実』の前半は地球温暖化の話で、後半はなぜか禁煙の話だ。いったい何の関係があるのかと言えば、要するに反捕鯨、禁煙、地球温暖化の三つは同根なのだ。反捕鯨は日本を従属させ、禁煙は人類を喫煙者と非喫煙者の二つに分けて片方を葬り、地球温暖化は人類すべてにエネルギーを使うなと強要する。世論操作で何ができるか、徐々に対象を広げて実験をしているのだ。
 しかし、日本人は意外にルーズで常識的なので、お上がいかに世論操作の片棒を担いでも、適当なところで祈り合いをつけるだろう。私だって近くの人から「吸わないで」と言われれば控えるし、分煙に反対するつもりはない。喫煙者と非喫煙者が共存できる社会を作れると信じている。

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